2018年に開催されたFIFAワールドカップロシア大会。日本は結局ベスト16の壁を越えることができませんでした。しかし、優勝候補だったベルギーと互角に渡り合ったことは、このベスト16の壁を越える日が近い将来やって来ることを確信させるものでもありました。そんな日本代表がワールドカップで残したこれまでの軌跡を、ここで一度振り返っていきたいと思います。
1998年フランス大会
日本が初めてワールドカップに出場した記念すべき大会。しかし、結果は3戦全敗の予選敗退でした。このときの日本代表には、海外のクラブチームに所属する選手が1人もおらず、実力的には順当な結果だったといえるでしょう。
2002年日本・韓国共同開催
地元開催となったこの日韓ワールドカップで、日本は初勝利と、初めての決勝トーナメント進出を果たしました。このときの代表にはイタリア、パルマに所属していた中田英寿を初め、数人の海外クラブ所属選手が含まれていました。
2006年ドイツ大会
監督にブラジルの英雄ジーコが就任し、多くの海外で活躍する選手を擁したこのときの代表は「史上最強」と呼ばれました。しかし、チームとしてうまくまとまることができず、初戦の逆転負けからチームは瓦解。2敗1分で予選敗退となりました。
2010年南アフリカ大会
監督だったイビチャ・オシムが脳梗塞に倒れたため、ワールドカップ予選の途中から岡田武史が指揮を執ったこのときの代表は、本大会直前に大幅に戦術を変更。それが功を奏し、決勝トーナメント進出を果たしました。パラグアイと対戦した決勝トーナメント初戦は、PK戦で敗れるという惜しい試合でしたが、結局ベスト16の壁を越えることはできませんでした。
2014年ブラジル大会
香川真司がマンチェスター・ユナイテッド、長友佑都がインテル・ミラノ、そして本田圭佑がACミランと、主力の多くが海外有名チームでプレイしていたこのときの日本代表は、大きな結果を期待されました。しかし、チームは期待されたパフォーマンスを見せることができず、2敗1分で予選敗退となってしまったのです。